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第四話:記憶のしくみ
(「安全と健康」2010年4月号「正しく知ろう!脳について」掲載)
はじめに 私たちの意識や思考は記憶を基礎としている。てんかん治療のために、患者の露出した脳の一部に電気刺激を与えたカナダの脳外科医ペンフィールドは、患者が過去の記憶を鮮明に思い出すという驚くべき事実に遭遇した。このことは、記憶が脳の中に蓄えられていることを示すエピソードとしてよく知られている。では、記憶のしくみはどのようになっているのだろうか? 種々の記憶 一般的に記憶といっても多くの種類がある。たとえば、去年の夏休みに両親を連れて伊豆の温泉に旅行した、という思い出も記憶のひとつ(エピソード記憶)であるし、「鎌倉幕府は1192年に開かれた」という知識は「意味記憶」と呼ばれる。これらの「出来事や事実」に関係する記憶は「陳述記憶」と呼ばれる。 一方、子どものころに覚えた自転車の乗り方は、その後10年間自転車に乗っていなくても、すぐに思い出せる。このような身体の動かし方や技術に関する記憶は「手続き記憶」とも呼ばれ、「非陳述記憶」に分類される。 記憶が保持される時間の長さで分類すると、数十秒から数分程度持続する「短期記憶」と、数時間から数日、さらには一生覚えているような「長期記憶」に分けられる。 記憶はどこに蓄えられているか 1950年代に難治性のてんかん治療のために、脳の一部を切除する手術を受けたある患者は、強い記憶障害を示すようになった。とくに、昔のことは覚えているが、手術以降の記憶を形成できなくなった。除去された脳の部位は、系統発生的に古い大脳皮質である『海馬』注)という領域である。この報告以来、海馬が記憶の中心として着目されるようになった。余談であるが、小川洋子氏の小説『博士の愛した数式』に登場する元数学者の「博士」は、交通事故により80分しか記憶を保持できなくなってしまった、という設定になっている。そのため、博士は毎日派遣されてくる家政婦の「私」に、毎回「どちら様ですか?」と聞くのである。 ただし、海馬に障害を受けると、このような陳述記憶は損なわれるが、自転車の乗り方など、非陳述記憶は保持される。ヒトの場合、海馬には短期から中期の記憶が2年間ほど蓄えられた後、さらに保持することが必要な情報であれば、大脳皮質の一部に分散されて保存される。ネズミの場合、海馬から大脳皮質への移行期間が2週間程度であることが実験的に明らかになっているが、このような期間の違いがどのような機構によりもたらされるかについては、まだよく分かっていない。 記憶形成におけるシナプスの働き では、海馬はどのようにして情報をためこむのだろうか。第一話で話したように、脳の中には多数の神経回路があるが、これは神経細胞同士が「シナプス」という接合部を介することにより形成されている。実はこのシナプスに情報をためる能力がある。神経系での情報は電気信号で伝わっていくが、シナプスではそれが神経伝達物質という化学信号に置き換えられる。記憶形成時における海馬の本質的な変化は、シナプスでの化学信号の修飾によるものであることが分かりつつある。その変化によってシナプスでの情報の伝わりやすさが長期的に変化すること(シナプス可塑(かそ)性)が記憶の形成に重要であることが明らかとなっている。 学習にともなってシナプス可塑性が引き起こされることにより、細胞集団としての神経回路網に変化がもたらされる。例えば、ある経験により特定のシナプスにおける信号の伝達効率が変化したり、経験にともない新たなシナプスが形成されたりして、信号の流れる回路が変わり、変化した状態が保持される。このことが、記憶の基盤をなすメカニズムであると考えられる。 このとき、シナプス結合した2つの神経細胞のうち、特定の活動パターンで活性化された神経細胞同士のシナプス間の伝達は強くなり、一方の細胞のみが活動した神経細胞同士のシナプス間の伝達は弱くなる。このような、シナプス伝達の可変性は、カナダの心理学者ヘッブによって理論的に提唱され(ヘッブ則)、実際に、シナプス結合が長期にわたって強まった性質(長期増強と呼ばれる)を持つシナプスが海馬や大脳皮質で見出されている。逆に、シナプスを挟んで片方の神経細胞が活動しているときに、もう一方の神経細胞が活動していない場合には、シナプスでの伝達の抑圧が生じる場合もある(長期抑圧)。 記憶形成にかかわる分子 脳を構成する分子は多数あるが、遺伝物質であるDNAを例外として、かなり速いスピードで代謝されている。速いもの(RNAなど)で数分から1日程度、遅いもの(タンパク質など)で数日から2週間程度とされている。したがって、一生にも及ぶ記憶を担うような「特定の記憶分子」が存在する訳ではない。 しかし、記憶の形成には、確かに物質的な根拠がある。記憶保持の長さによって「短期記憶」と「長期記憶」があることは先に述べたが、この2つの違いは異なる化学的仕組みに基づく。短期記憶では、細胞の中に存在する分子群に生化学反応が生じているだけだが、長期記憶では、タンパク質やRNAなどの新たな生体高分子が合成される必要がある。つまり、経験や学習にともない、脳内の神経細胞で新たに合成された分子群が、記憶の長期的な保存に働くのである。さらに言うと、このような新たな分子の合成には、遺伝子の情報を使うため、遺伝子を働かせるためのスイッチが入ることが必要である。したがって、遺伝子はよく「設計図」に喩(たと)えられるが、それだけでなく身体ができあがった後も、臨機応変に状況に応じて活躍するものなのだ。 さて、次回は「いくつになっても脳細胞は作られる」という話題を。実は今回の「記憶・学習」にも関係する。
by norikoosumi
| 2010-08-22 14:12
| 正しく知ろう!脳について
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